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戦跡

掩体壕

隼など戦闘機を爆撃から隠すために作られました。
これは調布飛行場外のもので国道20号線車返跨線橋東側から撮影しました。
他に府中市1個、三鷹市大沢に2個と高射砲台座4個残ってるそうです。
2002年9月1日

雑誌東京人2003年3月号後の方に残り3つの特集が出ています。

掩体壕

調布飛行場北側が公園になりました。
保存された掩体壕2基の内1基はそのままで保存。
もう1基は中に飛燕が入ってる絵の板で塞がれています。
横に設置された模型は良くできています。

2006年06月11日

雑誌東京人2003年3月号後の方に残り3つの特集が出ています。


お花茶屋陣地跡に残る高射砲土台

葛飾区白鳥
平成10年4月11日撮影

皇居の高射砲台座跡

代官町通りと千鳥ヶ淵の間
平成19年6月 ユウキ撮影

都立小松川高校旧校舎にもあった

現在は建て替えられた都立小松川高校だが、戦時中は屋上に高射砲が据え付けられていた。

HPによると、大正5年、南葛飾郡立実科高等女学校として創立。昭和9年写真の校舎が完成。
昭和62年新校舎完成

昭和60年頃 ユウキ撮影


印旛地方航空乗員養成所滑走路跡

陸軍航空隊 逓信省航空局 印旛地方航空乗員養成所
千葉県印西牧の原駅の南隣りに滑走路跡の道路が東西方向にあります。
これは県道190号線です。
西の端から東を撮影。
2002年10月

印旛地方航空乗員養成所滑走路跡

東の端です。滑走路から先の道路はまだ未完成です。
この近くに無蓋掩体壕が残っています。1つは完璧でした。
もう1つは道路工事で1m位の土の山3つが残っているだけでした。
2002年10月

崩された無蓋掩体壕

コンクリート製の有蓋掩体壕と違って無蓋掩体壕は屋根がありません。
ほとんど直撃はあきらめて、近辺への着弾から戦闘機を守る土塁です。

土塁なので簡単にブルドーザーなどで取り壊せます。
その為、戦後民有地に戻った土地の無蓋掩体壕はどんどん壊されています。

民有地側が壊されたものの県有地側に奇跡的に残った無蓋掩体壕。
2002年10月

無蓋掩体壕

ほぼ完璧に残っていた無蓋掩体壕。
V字型です。

この近辺も県有地で林の中のも含めて6基残っています。
冬に行かないと草が伸びまくっていて何がなんだか・・・
2002年10月


国土画像情報S59年(カラー空中写真)国土交通省に無蓋掩体壕を書き入れました。印西牧の原駅の南東側です。
自分が行った時には、空撮画像を4分割して左下に当たるエリアの赤色5基ほどしか確認できませんでした。
画像右半分は未調査、緑色のは違うかも。


国土画像情報S59年(カラー空中写真)国土交通省

ウェブマッピングHP

− 調査時のメモ(地図) −

無蓋掩体壕

2004年再び行ってみました。
滑走路跡道路はまだ県道に繋がらず未開通なままです。
写真は滑走路跡東端に残る無蓋掩体壕です。
もっと南の調整池近くの掩体壕を含め草が刈られて形がわかるようになっていました。
2004年4月11日


海軍茂原飛行場跡の掩体壕

貨物線跡を撮影した跡発見した掩体壕
新小轡字南台 890-1-2
倉庫になっていて羨ましい?
2002年10月

住宅地に謎の物体

上のを後ろから見た。背が高い掩体壕・・・
2002年10月

掩体壕

本小轡字束ノ妻 1108-1-2
掩体壕の説明版があります。用水路が曲げてある。
2002年10月

飛行場の面影

本小轡字上ノ原羽黒 351 (左)から見た、上ノ原羽黒 372 (右)
千葉県生涯大学校外房学園近く
2002年10月

超巨大掩体壕

東郷字八幡前903-1 の掩体壕は超巨大で2つのアーチからなっていました。

参考にしたHP
かとしんのhome page
祖国日本

  

旧日本海軍鹿島海軍航空隊跡

茨城県マニアックな迷処巡り

924S,944S2CS,951,968K が集合し、東電鹿島火力発電所前でデンジマンのオープニングシーンのロケ地探しです。
お昼は鹿島郡鹿島町の鰐川の畔にあるトンカツ屋L(エル)です。
特急白山で使われていたサシ489−8食堂車なんです。

日本海軍鹿島海軍航空隊跡

美浦村の霞ヶ浦湖畔に日本海軍鹿島海軍航空隊がありました。
司令部跡や、カタパルト跡が残ってるので廃墟&軍跡巡りです。
ここは水上機の場所なので湖畔にコンクリートのスロープが東北と東南に向かってあります。
現在は格好のモーターボート設備になっています。
その直角に飛び出た場所にカタパルトの跡があります。どの風向きにも射出できたようです。

司令部跡と号令台

司令部跡(一時医科歯科大付属設備になっていた)は柵の向こうですが残っています。
2004年7月4日

発電所跡?ボイラー室跡?

中には煉瓦で出来た窯?がありました。
2004年7月4日

  

旧霞ヶ浦海軍航空隊跡

廃線跡や、現役格納庫が残っています。
レンタルカート・オフ会に収録

  

木造は貴重

旧日本陸軍木造兵舎

世田谷区の三軒茶屋駅近く
木造の建物、しかも元々ただの平屋の兵舎として建てられているので寿命の心配が。

他にも倉庫や屋内射撃場(駒場東邦近く)が残っていました。

2007年09月16日 ユウキ撮影

  

第二次大戦の跡

迷彩色の機関庫

アメリカ軍の攻撃目標にならないよう鉄道施設でも迷彩塗装がされました。
1988年頃のJR真岡線です。

  

軍艦

軍艦堤防

終戦直後に駆逐艦を沈めて堤防代わりにしたものです。
海底トンネル工事中で見学には許可が必要でした。
場所は北九州の若松。この後若松駅でキューロクと貨車撮影。

2006年03月09日 ユウキ撮影

他にも、大戦時のコンクリート製油槽船が堤防になって、日本の何処かにあるらしい。
旧三菱横浜造船所第七埠頭は沈没した日本陸軍特TL型護衛空母で出来ているそうだ。(丸2008-02より)

帝国海軍の艦艇

宗谷です。初代南極観測船でもあります。
特務艦宗谷時代はミッドウェー海域やトラック島大空襲でも生き延び、敵潜水艦の魚雷が命中するも爆雷で撃沈させています。

まだ隣りに青函連絡船羊蹄丸は来ていません。

1992年08月09日 yuuki撮影

旧日本海軍海防艦志賀

その後のこじまです。
千葉県の岸壁に保存用に運ばれたあと周りは埋め立てられました。
1999年頃解体されました。

1995年8月17日yuuki撮影

横田基地日米友好祭 2004

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